以前まで好きだった本屋は、今ではさほど魅力のない場所となった。
一つは、ぼくがあまり読書をしなくなったこと
一つは、本当に素晴らしい作品を置いてないこと
本屋には売れるものしか売ってない
正直言って、読んだら逆にバカになるようなものしか置いてない。
難解な書物の読解方法を書いた本が売られていたが、
別に難しい本なんて、誰が読むんだ。
ハイデッガーやフロイトやユング
誰が読む?
ぼくはパスカルのパンセを朗読しながら読んでいるけれど、
さっぱりわからないさ。
それでも、重要なところと思しき場所に赤線を引いている。
それでいいじゃないか。
別にいいんだけど、難解な作品を読んで、得られるものはあるのかな?
と最近思うんですよ。
読んだ感想もいえないようなことでは、何も得られていないと同じ。
だから、そんな本は一瞥して、通り過ぎました。
次には謎の村上春樹みたいな本が売られていました。
村上春樹関連の著書ならなんでも売れると思っている人が書いたものでしょう。
そんなの村上春樹の本当のファンだったら、村上作品を一途に読んでいたらいいんだ。
関連書から得られた思考なんて、邪魔なだけだと思いませんか?
こんな文句をブツブツと心の中で呟きながら、
ぼくはウィリアム・ブレイクの詩集を偶然発見してしまいました。
あの大江健三郎の『新しき人よ眼ざめよ』に出てくる詩です。
迷わずに買いました。
うつになると浪費癖がつくのでしょうか。
そして、「新しき人よ、眼ざめよ」も欲しいので、
店員にぎこちなく商品名だけ伝えました。
「あの、おおえけんざぶろう の あたらしきひとよめざめよ」
それで店員はどこかへ消えていきました。
在庫があるか調べてくれたらしいです。
でも、ありませんでした。
ぼくは、大江作品を諦めきれず、別の書店に行きました。
そこでも『新しき人よ、眼ざめよ』はありませんでした。
「もう入荷しないんか、ワレ」と半分不機嫌になって聞いてみると、
もうしません、と応えられました。
仕方なく、取り寄せにしてもらいました。
死ぬ前にリルケの詩集と、ブレイクの詩集と
大江健三郎の『新しき人よ眼ざめよ』を読みたいです。
今の本屋には、良書が少ないと思います。
良書といっても、個々が判断するものですが、
深くておいしい本というのは、書店から姿を消しつつあります。
今でさえ、現代にも通じるドストエフスキーの小説が人気を取り戻しているのも、
いいことですが、もっと、埋もれてしまった作品は沢山あります。
カフカの『審判』とか。
エルマーの冒険とか
最近の本屋は嫌いです
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