死にたいのに、一体、なぜ肉体のバランスなどを考えてトレーニングをしているのでしょう。
ぼくは、左右のバランスなんて考えることはやめました。
しかし、一体、死にたいのにトレーニング自体する必要があるのでしょうか。
自分では自分を殺せないので、時間つぶしです。
時間潰し。
時間潰しというのは、生きることなのでしょう。
ならば、何も得られずとも構いません。
ぼくには、喜怒哀楽が単なる電気信号によるものだと思うと、
何もかもが重みを失ったものとしか思えないのです。
妹は、よくわからないけれど、帰って行きました。
会社を辞める相談に来たのか、
それとも、薬物の過剰摂取をするぼくを心配してきたのか、
家庭での心配が大きかったのか、
よくわかりません。
ただ、すべてが心配だったと言って、帰って行きました。
ぼくは明日を信じません。
未来のことを心配して思考停止する妹とは少し違います。
憂鬱の嵐がやってくるのは、ぼんやりとした不安からです。
漠然たる不安のために身動きができなくなる。
先のことを考えた生ぬるい思考とは違います。
妹にぼくのお気に入りのヘルマン・ヘッセの詩集をあげました。
本当に気に入っていたけれど、あげました。
気に入っていたから、あげたのかもしれません。
ただ、この気に入っているという感情すら、
電気信号だと思うと、軽いものだと感じてしまうのです。
それにぼくは新しくリルケの詩集を買いました。
これからは、リルケの詩集を読んでいこうと思います。
いつかへルマン・ヘッセに会ったとき、
あなたの詩は素晴らしかったと言いたいです。
明日はバイトです。
その前に心療内科に行きます。
本当は今日行く予定でしたが、
あちこちをひっくり返していたら、
抗うつ剤が出てきたので、今日はもういいや、と思って止めました。
明日は、いつも見てくれる医者がいるので、行きます。
バイト、嫌だなあ
でも、そんな感情も単なる電気信号です。
軽いものです。
生きることさえ。自分さえ。
[0回]
PR