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旅人の病記

自分に負けないように。

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療養所

ぼくはうつ病になってしまって、随分と周囲に迷惑を掛けていたことに気づき始めている。「お前ら、ちょっとは俺の病気のこと考えろよ」と自分勝手に思っていたけれども、逆の立場からしてみれば、「行きたくもない病気の世界に自分たちを引き込まないでくれよ」と思ったかもしれない。病気は人を暗くする。ぼくは、単に周囲の人々を暗い世界に引きずり込もうと暴れ、もがいていただけなのかもしれない。

うつ病は性格にも関連している。ぼくは生来の小心者であるから、些細なことで落ち込む。些細なことでなくても、例えば、肉親との死別でも、ペットとの死別でも、様々なことでも、落ち込む。これをうつ状態という。近頃のぼくの生命の活動は、様々な傷をぼくの心に残していき、その度にうつ状態はより深いものになっていった。

不況の中での就職活動は、うつ状態のぼくにただでさえ負担になった。不況という経済状況から、困難な就職が生まれ、困難な就職から虚無が生じた。それはぼくの中に絶望的なものとして、心を通っていった。死のうと思った。自殺の方法は、手首の動脈を切って、失血死をする予定だった、実家にて。遺書も何度か書いてみたけれども、うまく書けなかったから止めた。その代わり、ぼくが書き溜めてきた日記を遺書とすることに決めた。そう決めた日から、日記には、ぼくの死後のことも多く書かれるようになった。あのマンガはあいつが好きだったから、あいつにやってくれ、とか、服はあいつに、とか。友人や恋人や家族を悲しませてしまうことはあまり考えなかった。ただ、葬儀などの事務手続き等で、何かと迷惑を掛けてしまうだろうと思っていた。

自傷行為も繰り返した。恋人と自傷行為をしないことを約束したにも関わらず。恋人を始め、周囲の人々を随分傷つけてしまったと思う。今、ぼくの体には100箇所程度の傷跡がある。こんなに傷をつけてしまったのはなぜなのかよくわからない。死を待つ間の時間つぶしになればと考えたのであろうか。確かに時間の経過がむなしく思え、何もできず、何にもなれずに過ごすならばと、傷を付けていたこともあった。いっそのこと一思いに動脈を掻っ切ってしまえばよかったのかもしれない。

抗不安剤を沢山飲んだこともあった。眠りに落ちて、そのまま死んでしまえば、きっと楽だろうな、と思った。それでも、しばらくすると普通に目覚めてしまった。普通?普通という言葉は嫌いかもしれない。普通という意味がよくわからない。普通の人とは、健康な人のことなのだろうか。なるほど、それなら普通という意味もわかる。けれど、本当は普通の人なんていないんだ。もしいるとしたら、それはつまらない人間なのではないだろうか。

恋人とは一緒に暮らす予定だったけれど、それ以前にぼくの気力がなくなってしまい、就職活動の継続が困難になってしまった。働く以前に採用されなければなんの意味もなかった。しっかり働けるようになって、恋人と一緒に暮らす甘い夢を見ていた。それは未だに夢のままで、恋人ともまた距離が離れてしまうことになった。それは辛いことだった。地元で働けるようになったら、その時は一緒に暮らそうね。なんて、また期待させるようなことを言ってはいけないのか。でも、恋人は待っていてくれるという。ぼく、必ず治すから、待っててね。ありがとう。

母親はぼくと電話する度に涙を流した。涙が止まらなくなってしまったという。母親もうつ状態なのだ、とぼくは思った。それが心配で、今度はそちらに意識が向いて、うつ状態は深くなっていった。親を泣かせてしまって心が痛んだ。正直に言うと、いつも身近で泣いていた恋人よりも、母親の体調が気になっていた。ぼくはマザコンなのだろう。

父親は仕事のことについて沢山アドバイスをしてくれた。けれど、ぼくは、仕事に就けずにいたから、あまり役に立てられずに申し訳なく思っている。父親は仕事人間というイメージが強い。ぼくが18で家を出るまでの父親のイメージは、テレビのニュースとタバコの煙だった。父親はタバコの煙だったのだ。父親の努力はタバコの煙に隠れて、その時のぼくにはきっと見えなかったのだと思う。

友人たちには、本当に迷惑を掛けた。カラオケに行ったとき、帰りに一人で勝手に歩いて帰ってしまったことがあった。ぼくはカラオケ、またカラオケボックスそのものに対して嫌悪感を覚える。閉塞的な環境も影響しているのかもしれない。とにかく、カラオケはダメなんだ。だから、ぼくはカラオケに誘われたとき、しきりに断った。でも、半ば強引に連れて行かれた。だから、ぼくはキレてしまったのだ。他の友人達がカラオケで楽しんでいる間中、ぼくだけ一人床に転がっていた。途中参加した人たちは、ぼくがきっと酔っ払っていたのだと思ったかもしれない。カラオケルーム内には友人たちと、ぼくの壁ができあがっていた。ぼくはお荷物なのだろうと思っていた。どうせ、お荷物さ、と息巻いて、カラオケボックスを出ると、早々に立ち退いた。友人の一人はずっとぼくの後から歩いてついてきてくれた。ぼくは迷惑ばかり掛けて生きているのだと思った。友人は夜空を見上げて、星がきれいだな、なんて言ってしきりにぼくをなだめようとしてくれていたのだ。確かに星が綺麗だった。それを思うと、横浜の空はいつも汚れているな、と思った。

横浜には大学時代からの友人が住んでいる。その友人は、ぼくがうつになったと知った翌日には、ぼくを見舞ってくれた。地元の友人たちも、ぼくが帰省したその日にぼくを見舞ってくれた。ぼくには素敵な友人たちがいるんだ、と今では思う。当時は、無関心だったのだと思う。

何に関しても無関心だった。今でもそんなところがある。人間性に問題があると自分で思ってしまう。でも、考えてみろよ、問題がない人間なんていないだろ、さっきも書いたけれど。確かにそうだ。問題を抱えていない人間なんていないのだと思う。そんな人間がいたら逢ってみたいと思う。多分、友達になれないんじゃないかな。

恋人とは別れるかどうか迷った。今でも迷っている。このまま待たせてしまうのも申し訳がないと思う。でも、恋人はぼくのことを好きだと言ってくれた。素敵な恋人だと思う。そんな恋人も大きな問題を抱えている。ぼくよりも大変な病気と闘ってもいる。なんとか、彼女を幸せにしてあげたいと思う。

ぼくは小説が好きで読んでいたと思っていたけれど、本当は、他に何もやりたいことがないからなのだ。趣味と言えるものが、ぼくには何もない。だから、自傷行為をしたり、筋トレをしたり、読書をしたりして、時間を潰しているのだと思う。それでも発見はあった。アルベール・カミュの『異邦人』という小説の意味が日に日にわかってきているし、フランツ・カフカの小説は終わりのない堂々巡りで、なんだかぼくの人生のようで好きだ。ぼくもいつか、カフカ調か、あるいは、ドストエフスキーのような思想のポリフォニーを造り上げたいと思う。また、これまでの経験をそのまま小説にしてもおもしろいと思う。高校時代の部活や大学時代そのものを。

小説を書くことは、趣味になったのかもしれない。ぼくは映画『スタンド・バイ・ミー』を見てから小説家になりたいと思っていた。小説を書いて暮らせたら、どんなに楽しいだろうか、と思う。けれど、今は趣味程度でいいと思う。そこまで真剣にやらなくても、ぼくには才能がないことがわかっているから。

ぼくには傷だらけになってしまったけれども、一応、両手両足が揃っている。それは幸せなことだと思う。今まで何不自由なく暮らせてこれた。幸せだったと思う。今から、また、自分の足で立って、前に進むんだ。

友人が事故に逢ってしまい、この前、見舞いに言った。ベッドに横たわる友人にしてみたら、自由に動きまわれるぼくが羨ましかったかもしれない。ぼくには両手両足が揃っている。

自分の足で立って歩こうと思う。

自分が避けていたことにも向き合おうと思う。だから、ぼくは実家に帰る。

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"たびびと"です。
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決して壊れる事がないのです。

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